存在価値のない人間はいない

人は誰しも一度は、「自分は存在価値がないのではないか」と思ったことはあるのではないでしょうか。
単刀直入に言うと、この世には、無価値な人間というものは存在しません。

実は人間というのは、知らぬ間に誰かを助けていることがあります。
例えば、相手が落ち込んでいたところ、あなたの何気ない言葉で、相手は気持ちが晴れ、人生を好転させるきっかけとなるかもしれない。
あなたが話しかけていなかったら、その相手は路頭に迷うことになっていたかもしれない。
他愛のない会話で、「人を助けた」など思いもしないことですが、相手にとっては人生選択の材料になり得ます。

このように、自分の些細な言葉が、知らぬ間に誰かの役に立ち、感謝されるということはよくあります。
だから、この長い人生、必ず誰かの役に立っています。
それは自身が気が付いていないだけで、必ず誰かを救っています。

しかし逆に、誰かの言葉で助けられたことに、気が付かないことも多い。
「どんな事でも感謝をし、感謝を忘れない」は、成功者の多くが語っています。
成功者が「感謝」を強調する本当の意味が、理解できるのではないでしょうか。

私も悩み事を抱えたりすることはありますが、そんな時、ネットやブログ、小説、ゲーム等での誰かの言葉をきっかけに、救われたことは多々あります。
そのたびに、その作家や管理人に、心の中で感謝しています。
彼らは別段誰かを救いたく、その内容を書いたわけではないと思いますが、しかし私のような個人から、その人たちは知らない内に感謝されているわけなのです。

ところで私は、些細な事ですぐに根に持ち、恨みを抱く性格です。
以前より、恨みは相手のほんの些細な言動で生まれ、人知れず恨みを買っていることがあると、述べたことがあります。
今回の話とはベクトルが異なりますが、本質的には共通していると思います。

そんな恨みを抱かせる相手にも存在価値はあります。
私からすれば、そんな相手は「生きている価値などない」と思うわけですが、私以外の誰かは存在してくれてありがとうと、感謝しているものなのです。
たとえそれが、独裁者であろうと殺人鬼であろうと、誰か一人ぐらいは感謝している人はいるはずです。
100人中99人から存在価値なしと言われても、1人から価値があると言われれば、その人は十分存在価値があるというわけです。
しかし個人的に、99人から無価値と言われるような人生は歩みたくはないですね。

人は気付かない内に誰かを救っています。
自分という人間をきっかけに、相手の人生に、わずかながらも影響を与えています。
それは目に見えないため、自分も相手もそのことに気が付いていないことが多い。
気が付かないだけで、あなたは十分存在価値はあります。

今回の話で、自分の存在価値に自信を持ち、そして逆に、感謝すべき相手を考えさせるきっかけとなれば、私も十分役に立ったと自信を持つことができます。
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悪口を受け取らない方法

仏教の開祖・釈迦しゃかに、強い怒りを持つ異教徒の若者がいました。
その若者は、自分の仲間が次々と仏教に改宗していく様が許せず、釈迦本人の前に現れ、罵詈雑言ばりぞうごんの限りを尽くし非難しました。

しかし、釈迦は無反応でした。
それに対し若者は、「なぜ、言い返さない?」とたずねます。
「君は、祝日に、親族の者を歓待したことはあるか」
「当然、あるさ」
「親族が、君のもてなした食べ物を食べなかったらどうするか」
「食わなければ、俺のモノになるだけだ」
「では、私の前で罵詈雑言述べたところ、私がそれを受け取らなければ、その罵詈雑言は、誰のモノになるのか」
「……受け取らなくても、与えた以上は与えたことになる」
「それは、与えたとは言わない」
「では、どういうのを受け取ったといい、どういうのを受け取らないというのか」
「悪口を、悪口で返し、怒りを、怒りで返す。それらは与えたモノを受け取っている。逆に、何も返さず無反応であることは、受け取っていないということになる」
「ではあなたは、いくら罵られても、腹を立てないのか」

智恵ある者に怒りなし。よし吹く風荒くとも、心の中に波立たず。怒りに怒りをもっむくいるは、に愚か者の仕業なり

「……私は、愚か者でありました。どうか、お許し下さい」
その後、その異教徒の若者は、平伏し帰順しました。


釈迦のように、誹謗中傷ひぼうちゅうしょうを受け、平気でいられる人間はそうそういません。
無反応で何も言い返さなければ、こちらが「負けた」と思ってしまうものだからです。

そうならないよう、「言い返さなければならない場面・流れ」を、そもそも作らなければ良いのだと言っています。
初めから「無視」しておけば良く、一回でも反応するとそれは「その悪口を受け取った」ということになり、途中から無視を初めても、それは相手にとって「勝利」となるのです。

相手の言葉を、一々受け取る必要はありません。
しかしながら、私は一つ一つを受け取ってしまい、人知れず恨みを抱く人間なので、釈迦のような聖人にはなれないなと、思うこの頃であります。

批判は恨みの種



人は批判されると恨みを抱くもので、ましてや人格否定などされると、強い怨念となります。
基本的に人間は肯定されたい生き物で、自分の意見が批判されれば、いい気分はしません。

会話中、すぐに批判や否定から入る人っていますよね。
これって、とても損です。

私の知り合いにそんな人がいて、まず否定から始まり、結局同じ意見だとしても、意固地になる人。
否定から入るのはどうも口癖のようで、悪意はないようですが、それでもやはり気分を害します。

ゆえに、そういう人には情報を与えない、伝えないように心がけています。
色んな情報を持っていても、教えたくなくなりますよね。
こうして、批判や否定ばかりする人には、意見交換されなくなるばかりか、他人から耳寄りな情報を得ることができなくなるわけですね。

次に、人格否定について。
相手を必要以上に叱り飛ばし、人格までも否定することで、努力や根性を刺激し向上させようとする人。(大方、憂さ晴らしが理由でしょうけれど)
結果、その相手に引き起こされるパワーは、「根性」ではなく「怨念」です。
仕事など、必要以上に叱り飛ばしていた部下から、いつの日か恨みを晴らされるかもしれませんね。

人格否定でない場合でも、自分の好きなものを批判する人は、恨まれやすい。
例えば、私は中国史が好きだということもあり、わりと中国人が好きなんです。
そのため、中国や中国人のことがさげすまれると、妙に心が締め付けられるような、嫌な気持ちになるんです。
このように自分の事を悪く言われているわけではないのですが、やはり自分が好きなものを否定されるというものは、少なからず恨みを抱きます。

次に、人より優れていることや自慢なども、人から恨まれやすい。
これは恨みというよりねたそねみにつながりますが、それでも反感を買いやすいという点は共通。
そういった意味では、いかに幸せかを自慢する場であるツイッターやフェイスブックなどSNSは、恨みや嫉妬の気持ちを増幅させる環境といえるでしょうね。

私自身、些細な言動で恨みを抱くことが多いのですが、その一方、逆に私を恨む人もいるでしょう。
しかしながら、私は極力、恨まれないように過ごしています。
現に自分が恨み深いので、どんな言動が恨まれるのかという事柄は、よく理解しています。

人との会話では相手の意見を否定しないように心がけています。
どうしても伝えたい時は、「なるほど、そうなんですね。実はその話にこんな意見もあって」、「~らしいですよ」など、自分ではない「他者の意見」として回避するなど、言い方を工夫しています。
このように、角を立てない表現にすることが大切です。

批判や否定は、本当に恨みを生みますからね。
会話中、「私はその考えと違う」と言われたら、一瞬でも反感を抱きますよね?
こういう何気ない一言も、恨みの種であることを、十分に知ってもらえたらと思います。

人格否定の次に、許させないことは、自己中心で傍若無人な振る舞いをする人でしょうね。
しかし結局は、おごり驕った先には、恨みを晴らされるという未来が待っています。
私はそういう人を見てきましたが、必ず因果応報な目に遭っていますからね。

吸血鬼?オオコウモリ



今回は、巨大コウモリ「オオコウモリ」を紹介。
海外では「メガバット」、「フライングフォックス」と呼ばれています。

翼を広げると、2mに達する大きさを誇ります。
一般的なコウモリは聴覚が優れているのに対し、オオコウモリは目が大きく、聴覚よりも視覚を得意とします。

また、一般的なコウモリは、虫などを主食しているのに対し、このオオコウモリは果実や花蜜などを主食とします。
この不気味な容姿で、動物質より植物質を好むというのは、意外ですよね。

オオコウモリの多くは熱帯に分布し、日本では沖縄や小笠原諸島に生息しています。

コウモリといえば、不吉なイメージを持つ人が大半だと思います。
しかし中国では、縁起の良い動物として扱われています。
コウモリは漢字で「蝙蝠」と書き、その「蝠」が「福」に通じるからとされています。

また世間では、コウモリは吸血する動物だと思われがち。
確かに吸血コウモリは存在しますが、何千種類と存在するコウモリ類の中では、比較的マイナーな部類に入ります。
なので、一般的なコウモリは吸血行為など一切しない、ということを知ってもらいたい。

私個人は、コウモリ好きです。
以前、自宅玄関前に、夜になると必ず現れる、一匹のコウモリがいました。
いつも玄関チャイムのスイッチの壁にくっついていて、とても可愛かったです。

元々、縁起の良い動物だということを知っていたので、プラシーボ効果なのか、不思議と幸運が続いた時期でもありました。
コウモリは病原菌など持っており触れることはできませんが、見守ることはできますからね。

しかしながら、例のオオコウモリが、自宅前にぶら下がっていたら、さすがにホラーですけどね。

エナジーヴァンパイア

「エナジーヴァンパイア」という言葉を、ご存知でしょうか?

エナジーヴァンパイアとは、相手から生命力や精気、運気などのエネルギーを吸い取り、自分のエネルギーに変えてしまう人を指す言葉です。

例えば、「○○さんと話しをすると疲れる」「マイナス思考で自分まで暗くなる」などがあります。
相談といい愚痴をこぼされ、本人はスッキリしても聞かされた側は疲れるということがありますね。
それはエネルギーを吸い取られた証拠です。

相手の気持ちを察することができない、面倒で疲れさせる人たち。
彼らは無自覚であり、悪意がないのが特徴。

そこで例として、私が実際に関わった人物を紹介。
・Aさん
決して悪い人ではないのですが、なぜかその人と話すと疲れます。
他人の悪口は決して言わない点は素晴らしいのですが、一方的に自分の話を進め、また場の空気が読めないところがあります。
正直、疲れます。(観察していると自分だけではなく、周りも同じ思いの様子)

・Bさん
常にマイナス思考で「自分は馬鹿だから」「存在価値がない」など、常に自らを卑下し(謙遜のつもりらしい)、また思い通りにならないと不機嫌に。
気を思い、散々慰めたりなどしてあげましたが、その度に疲れます。
私は表向き上、明るく振舞っているのですが、やはり気持ちは暗くなることが多かったです。

・Cさん
とにかく話が、つまらない人です。
事あることに自分の話から始まり(日記を読まされている感じ)、自慢話も挟むので、正直疲れます。
この人は、それなりに空気も読めるし、ネガティブな発言など一切ないのですが、とにかく話がつまらないというのが欠点でした。

まだ他にも色々いるのですが、書き切れないので省略させていただきます。

エネルギーとは「気」のことであり、自分自身で見出すもの。
他人から奪い取るものではありません。
エナジーヴァンパイアは、自分自身でエネルギーを作り出せない、哀れな存在。
それゆえに誰かに寄生し、吸い取っていくことしかできない。

対処法は、関わらないことで万事解決します。
私はそんな人たちと連絡を取らず疎遠になりましたが、関わっていた頃に比べると運気は高まりました。

しかしながら、友人知人以外にも、両親や兄弟といった身内に存在する場合も多い。
身近すぎて気付かず、知らぬ間に、エネルギーを吸い取られているのかもしれませんね。

エナジーヴァンパイアの特徴は、今回の例だけでは収まりません。
まだ他にも色んなタイプのエナジーヴァンパイアはいます。
これの特徴をまとめているサイトなども多いので、一度チェックしてみてはいかがでしょうか?

さて今回の記事で気が付く点があります。
相手の悪い点ばかり見つけ出し、それを記事として書き綴る自分も、同じ穴のムジナだということに。

不死の山・富士山

富士山にまつわる伝説を紹介。

「富士山」という名には、いくつかの説があります。
まず、有名なのが、平安時代『竹取物語』をルーツとするもの。

月へ帰ることになったかぐや姫は、時の天皇に「不老不死の霊薬」を渡します。
しかし帝は、「そなたがいないのであれば、生き永らえても仕方ない」と悲しみます。

帝はその後、手紙と共に不死の霊薬の入った壺を燃やすよう命じます。
この勅命により、大勢の兵士が山に登り、その地で手紙と霊薬を焼き払いました。

こうして、その地で不死の霊薬が処分されたことから、その山は「不死の山」「不死山」と呼ばれるようになりました。

鎌倉時代になると、この「不死」という字を「富士」に変え、以降は「富士山」として定着するようになりました。
不死山に、大勢のつわものが登ったということから、「士が富む山」という意味で「富士」になったといわれています。

ところで、命名以外にも、富士山の不死にまつわる話があります。

中国秦王朝。(日本は弥生時代)
始皇帝が中国を統一し、強大な権力を以って統治していました。

始皇帝は晩年、不老不死を求めるようになり、臣下らに不死の霊薬を探し出すよう無理難題を命じていました。
その臣下のひとりである徐福じょふくは、「東の国(日本)に不老不死の霊薬があるといわれています」と上奏します。
すぐさま始皇帝は、徐福に多大な宝物を贈り、三千人の従者を付かせ、東の国の日本へ派遣させました。

その徐福が日本に渡り、辿り着いたのが、富士山。
しかし、不死の霊薬は見つからず、徐福は始皇帝の怒りを恐れ、中国には帰らず、日本の地で骨を埋めることになりました。

実際、富士山に徐福の墓が残っており、徐福はその間、中国の様々な文化を日本に伝えたといわれています。


富士山は、古代より様々な人々を惹きつける霊峰であることが分かります。
不死と呼ばれるだけの計り知れないパワーを感じる一方、富士の樹海では逆に死を求める者も多い。
そういった意味では、「死こそが永遠の命」と考えることもできるかもしれませんね。

捨てることで得るもの

風水的に、物を捨てることは、非常に良いことです。
数年前、「断捨離だんしゃり」という言葉が流行ったことがありましたね。

私は今月に入り、本、漫画、ゲーム、CD、衣類、キャラクターグッズ等の、不要な物を全て売り払いました。(物の一つ一つについて書きたいが、長文になるため割愛)
以下、「私はこういう人間だ」という話と、本題の「捨てることで得るもの」という流れで、書いていきます。

「私は倹約家」
数年前から倹約に心がけており、食事やゲーム以外では、ほとんどお金を使いません。

しかしながら、倹約に目覚める前の私は、本や服、パワーストーン、植物、キャラクターグッズなど、衝動買いすることが多かったのです。
また、物をコレクションするのが一種のステータスに感じ、それをアピールするのがすごく好きでした。
しかし、それが積もりに積もって、ふと冷めるわけです。

それからというもの、その集めた物を目にすることが、とても憂鬱となっていきました。
押入れの奥深くにしまっても、結局は自分の家にあることには変わらず、整理整頓の時など目にするたび、それはもう辛い気持ちになります。
売ろうにも何だか手段がおぼつかず、何だかんだで約数十年間近く放置しておりました。

その長い月日を経て現在。
今月を皮切りに、それらを一掃処分することで、憂いを晴らすことにしたのです。

倹約家を名乗る今の私は、一日一食で食費を抑え、趣味で使う時は新作ゲームのみとしています。
正直、本や小説は図書館で借りればいいし、服はお気に入りの数着しか着ないし(約数年、服は一切買っていない)、情報や娯楽は全てインターネット。
キャラクターグッズやらは今後一切コレクションすることはないので、絶対に買うことはないわけです。
もはや節約は趣味といっても過言ではないほど、定着しております。

そして今回、不要物を整理整頓することができ、心から清清しい気持ちとなり、心なしか多少ながらも、人の縁、金の円も循環するようになりました。

「捨てることで得るもの」
水は流れるから常に清らかであり、滞れば水は濁る。
空気は流れるから常に新鮮であり、滞れば邪気が溜まる。

実は人間にもこの法則が当てはまります。

とはいえ、新しい人間が良く、同じ人間ばかりと関わるのは悪い、といっているわけではありません。
しかし、人生において、様々な人と出会うことで、たくさんの有益な情報を得ることは多い。

実は縁を切ることは大切。
縁を切っていかないと、驚くほど新しい出会いは巡ってきません。

携帯電話のアドレス帳を見ていただければ良いのですが、もう疎遠で関わらない人っていますよね。
そういう場合、アドレス削除をオススメします。
アドレス帳も風水の一種ですから、不要な人は切り、必要な人は残す。
不要な人は結局は不要です。

相手に悪いかも何て思わないように。
自分の人生なのだから、自分が削除したいと思えばすれば良いのです。

結局世の中は、「幸運を得るためには不要なものを整理する」という真理に基づいています。
そしてその真理は、仏教の謳っている「物への執念を捨てる」思想の意味につながるわけです。

そんな私は、物に関する執念は捨てられるのですが、人に関する執念は捨てられない。
なぜって?
それは、恨みがあればあるほど、執念深く呪い続ける性格だからです。

邪気祓い

九字切くじぎりというものがあります。
手の人差し指と中指を合わせ空中を切り、九字の呪文を唱える邪気祓い。
起源は中国で、「九」の数は陽を表し、陰を除くとされたことから始まりました。

九字の呪文は「りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん」で、それぞれ手で印をつくり、空中を切っていきます。
そして、最後に「悪魔降伏あくまこうふく怨敵退散おんてきたいさん七難速滅しちなんそくめつ七復速生秘しちふくそくしょうひ」と唱えるというものです。

しかしながら、九字の呪文を唱えるのはまだしも、九種類の印を手で表現したり、最後の悪魔降伏云々の呪文など、正直手間がかかり大変だと思います。

これに関して、私は独自のやり方(アレンジ版九字切り)を行っています。
九字の呪文はそのまま唱えるのですが、手の印はつくりません。
代わりに、両手を構え、襲い掛かるポーズ(怪獣みたいなポーズ)を取りながら、九字の呪文を唱えます。
そして最後に「悪霊退散せよ」の台詞。

妙な気配を感じたり、霊が近くにいる時にやっていますが、滅多な時にしか行いません。
私は基本、お香を焚いて霊や邪気を祓っているのですが(記事『呪い呪われ祓い方』)、突然の時ってありますよね。
外出先など、咄嗟に線香を取り出すことができないことはよくあります。
そういう時、私は例の九字切り法で、霊を祓っています。

アレンジ版九字切りの他、こんな邪気祓いもあります。
オリジナル呪文「コノウラミハラシテミセル」で、霊を祓う方法。
霊が取り憑き、運気が下がる→不幸になる→それを恨みに思う→「悪霊め……コノ恨ミ晴ラシテミセル……

幽霊に対して「恨みを晴らす」という台詞は斬新ですが、脅し文句として効果的です。
現に、この台詞を恐れ、いつの間にいなくなります。

それでも執念深い霊には、さらに恐ろしい言葉で攻めましょう。
お前など……絶対に成仏させてやるものか……。永遠にこの世に……留まらせてやる……」とね。

低級霊の大半は元人間ですし、幽霊とはいえ、怖がり臆病なのは変わりません。
しかし、これを怖がるのは低級霊のみで、さすがに上級悪霊などには通じません。

最後に注意点。
俗に、九字切りは素人がすると危険だといいます。
九字切りは霊に対する「宣戦布告」を意味しますからね。(「御札」にもそういう意味合いがある)
怯み震えながら九字切りされたところ、霊には全く効果はありません。(逆に霊から舐められる)

しかし実は、素人玄人はあまり関係ありません。
結局は、霊を恐れず怯まない精神と絶対的自信があれば、誰でも効果を発揮できるからです。

稲川淳二 怪談『心霊写真』

稲川淳二の怪談に、心霊写真にまつわる話があります。

ある大人気番組の特番の担当になった稲川淳二は、番組内で不気味な心霊写真を見る。
この番組を終え、その日の内に、次のロケへと向かった稲川淳二。
そして、長野県のとある旅館に泊まることに……。



稲川淳二が語っている、ある大人気番組とは、バラエティ番組『夕やけニャンニャン』のことです。
その番組で公開された写真が、これです。

心霊写真(閲覧注意)

非常に不気味ですね。

心霊写真「鳥居に写る不気味な顔」

昔、フジテレビ『奇跡体験!アンビリバボー』の心霊写真特集にて、不気味な写真が公開されました。

ある日、写真屋で出来上がった現像写真を受け取った帰りの事。
写真屋の出入り口付近に、白い封筒が落ちていた。

封筒の中身を見ると、不気味な鳥居が真ん中に写った写真。
その写真の、鳥居の柱の下の部分に目を向けると、そこには青白い顔が二つ並んでいた。

心霊写真(閲覧注意)

これを投稿した人はその後、行方不明となり、今も連絡ができないという。

かなり不気味な写真です。
霊能者曰く「非常に危険な写真」と忠告していました。

私が子供の頃、この放送をリアルタイムで見ており、ゾッとしたのをよく覚えています。
投稿主が失踪したというのが、不気味さに拍車をかけていますね。

しかしこの心霊写真、実は作りモノであることが分かりました。

昭和50年代、「コスモス」という、玩具景品の入ったガシャポンが出てくる自販機がありました。
その玩具景品に、「心霊写真カード」というものがあり、例の写真はその景品のひとつだったのです。

そうと分かれば、鳥居の写真を投稿した人が失踪した理由も分かります。
つまり行方を晦ましたのは、この写真が作りモノであることを、のちに追求されないため。
しかも行方不明と謳えば、その恐怖と不気味さをさらに強める演出になります。

この一件から分かる通り、霊能者がいかに信用できないかが、同時に証明されましたね。
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プロフィール

霊睡蓮

霊睡蓮(レイスイレン)
1989年生まれ/大分県/AB型
コノ恨ミ……晴ラシテミセル……
根に持つ性格で、その恨みは呪いを以て晴らす。
プロフィール詳細

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