蛆虫の使い方

今日は、最も嫌われ者である蛆虫について紹介します。

蛆虫といえば、ご存知ハエの幼虫です。
人間や動物の死体、排泄物などに湧くことから、多くの人から不潔で汚らわしいとされています。
また、見た目も気持ち悪く、身体を波打たせるようにして進む様は、人々を不快にさせます。

そんな嫌われ者である蛆虫ですが、意外にも怪我の治療として、活躍する場面があります。

戦争時代、傷の手当や治療が不十分で、不衛生な状態で放置された場合、傷口に蛆虫が湧くことがありました。
実はこれ、蛆虫が、膿や腐敗した部分を食べることで傷口を清潔にさせる効果があるのです。(むしろ傷の状態が良くなる)
これにより、患部を含めた周辺部位までいたる切断や切除をせずに済む場合があるのだそうです。
戦時中、傷口に蛆虫が発生した兵士の生存率が極めて高かったそうで。

蛆虫は、正常な組織を食べることはなく、腐敗した細胞のみを食べます。
その時、殺菌効果のある分泌液を出しており、これは感染症の予防効果にもなります。また、その分泌液は、細胞や毛細血管の再生を促進させる働きもあるのだそうです。
これを使用した治療法も存在しています。(注意しておきたいのは、いずれも無菌ウジの場合です)

とはいえ、怪我の治療として、蛆虫が使われるのは、かなり嫌ですよね。
自分の身体に蛆虫が這い回るのを想像しただけで、ゾッとします。

今回、伝えたかったのは、どんなに嫌われているものでも、それなりに使い道があるということです。
レベルの低い無能なものでも使いようによっては、役に立つものなのです。
つまり、それを上手に操れるかが、真に求められている能力なのかもしれません。
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小人は利に諭る

地方公務員の退職金が、全国的に削減される方向で進んでいます。
この件で、公務員による減額直前の駆込み退職するケースが相次いでいます。つまり、退職金の減額は、早期退職制度となっているのが現状となっているのです。

この件については、様々な意見が飛び交っており、当事者であれば、早期退職の選択も仕方ないと思います。

しかし、これで人間の本音というのが分かったというのも、興味深いものです。
やはり、人間というのは、金で動かされる利益中心な存在であったということです。

孔子の言葉に「君子は義に諭り、小人は利に諭る」というものがあります。
「立派な人は、正しい考え、倫理、良心にかなっているかどうかで物事を判断するものだが、つまらない人は、損得で物事を判断する」という意味です。
早期退職について当てはめると、教員としての使命である生徒の教育よりも、自身の利益を優先させたということになります。
つまり、今回辞めていった人は、自ら小人であることを知らしめてしまった、ということです。

早期退職の理由が、「退職金が減らされる前に手に入れておきたい」という考えって、はたから見れば滑稽に映りませんか?
私であれば、風聞とかやはり気になる方なので、金のために早期退職したというのはかなり嫌ですね。
誰も気にしないという意見の方もいるかもしれませんが、私の場合、少なくともそのように思います。
もし、身近にそのような人がいたら、真っ先に「この人、金欲しさに動いたんだ」と思ってしまいますね。

まあ、その手段を選んだ人にも、家族がいますからね。
仕方ないといえば仕方ありません。

公務員といってもやはり人間。
これで、小人であるという恥をさらしてしまったようなものです。

不気味植物・ハエトリソウ



今回は、ハエトリソウについて紹介します。
葉を素早く閉じ、獲物を捕食する食虫植物。

葉の感覚毛に触れると閉じ、数日経過するとまた開きますが、葉の開閉は大きなストレスになります。
故意に刺激を与え、開閉運動を繰り返すと、最悪の場合、枯れてしまうことになります。

ハエトリソウを育てる場合、肥料は与えないようにします。(日光と水だけでOK)
元来、湿地帯の栄養の少ない土地で自生している植物なため、足りない栄養は虫を捕らえることで補ってきました。
しかし面白いことに、実際育てる場合、餌の虫は一切必要ありません。
与えない方が、少しでも獲物を取れるように工夫し始め、よりたくさんの補虫器を付けるからです。

ゴキブリハンター・アシダカグモ



アシダカグモは、人家に棲息する大型のクモで、網を張らず徘徊し、夜行性で薄暗い所を好みます。
その大きさから「毒グモ」と勘違いされることも多いのですが、毒は持っておりません。

ゴキブリやハエなどを捕食してくれる益虫として有名ですが、この不気味な姿なため、敬遠されてしまうクモです。
大きな身体とは裏腹に、性格は臆病で、人間が近付くと素早く逃げようとし、人間に対し攻撃したりはしません。
逃げる時、その見た目から想像もできない動き方をするため、これも嫌われてしまう要因となっています。

アシダカグモの捕食特徴は、捕食中に他の獲物を見つけると、先の獲物をさし置いて新しい獲物を捕食しようとする習性があり、短時間に多数の害虫を捕らえることです。
一晩で20匹以上のゴキブリに噛み付いたという記録があり、アシダカグモのいる家では、ゴキブリは半年で全滅すると言われています。

このクモは、餌となる害虫がいなくなると、静かにその家から去っていきます。
もし、アシダカグモが苦手だと思う人がいれば、そもそも餌となるゴキブリが住みつかないようにすれば良い。
私から言わせれば、アシダカグモを駆除するなど、愚の骨頂。

曹操の祖父・曹騰

三国志にあまり詳しくないという人でも、「曹操」という名前は知っていると思います。
彼は、漢王朝を滅亡させた人物(曹操の子が献帝より禅譲を受け皇帝となった)です。三国志演義などでは、「蜀」(劉備)を正統とする内容なため、彼は悪役として登場します。

そんな曹操の祖父は宦官です。
名は、曹騰そうとうといいます。
宦官の身でありながら、養子を取ることのできる特別待遇を得た人です。(本来、宦官は養子を得ることはできません)
その養子が曹嵩そうすうであり、曹操の父親に当たります。

曹騰が幼い時、すでに曹一族は没落の道にあり、衰退しつつありました。
そこで、曹家は最後の手段として、まだ幼かった曹騰を去勢し、宮中に入れることに至りました。

頭が良く、教養もあったことが影響し、彼は、皇太子(のちの順帝)の学友の一人として抜擢されました。
それ以降の彼は、安帝、順帝、冲帝、質帝、桓帝の五帝に仕えてゆく人生を歩みます。
その間、「中常侍」「大長秋」に昇進し、桓帝の時代には、費亭侯に封ぜられ、特進の位を与えられました。
この時、養子を取ることが許されます。

桓帝の時代、皇帝は宦官の力を得ることで、外戚勢力排除が行われていました。
さらに「党錮の禁」で宦官勢力が優位にあることも影響し、彼は絶大なる権勢を持った人物のひとりになります。

宦官と言えば、賄賂や裏切り、無教養で貪欲といった負のイメージが強いですが、この曹騰だけは違いました。
教養のある常識人で、かつ正義感の強い宦官だったのです。
また、優れた人物を推薦することが好きで、世に埋もれている人物を引き立て、高官に登らせていました。(賄賂などは一切受け取らず)
彼には、「人を見抜く」才能があったようで、その引き立てられた人物の中には、張温、張奐などもいます。
また曹騰は、彼らに対し、決して恩着せがましい態度を取ることはなかったそうです。

こんなエピソードがあります。
益州刺史・种暠は、蜀の太守と曹騰とがやり取りしている文書を手に入れました。
このことで种暠は、皇帝に「曹騰を免職すべき」と上奏します。
しかし、皇帝は「外部からの書状であり、曹騰の関与は認められない」としてその申請を却下。
この件について、曹騰は、全く気にかけることなく、逆に种暠の態度を賞賛したそうです。
のちに种暠は「司徒」となるのですが、彼は「今日、三公となれたのは曹常侍のおかげだ」と語ったそうです。

普通の宦官であれば、种暠に対し恨みを抱き、あの手この手を使い、彼を陥れようとするものです。
ところが、彼は決してそのようなことはしなかったわけなのです。

そんな彼に、養子として曹嵩が迎えられ、のちに曹操が生まれることになります。
そして、子孫の曹丕が、皇帝となり「魏」を興すにいたるわけです。(229年、曹騰に「高皇帝」と追号)

曹操は一族に宦官がいることで、かなり偏見な目で見られていました。
なので世間の人たちは、彼の旧友である袁紹とはほとんど別扱いをしていたとか。
袁紹は、豪族の出身ですから当然金持ちです。
曹操は祖父が大宦官であったことで、彼もまた金持ちです。しかし、偏見の目で見られていたことに違いはありません。

曹騰は、後漢の宦官勢力の影響もあり、莫大なる財産を持っています。
普通、その一代で終わらせなくてはならないのが、宦官です。が、後漢は宦官に力のある時代。
その財産は、曹騰から曹嵩と受け継がれ、そして曹操が託されることになるのです。
そのため曹操は、劉備とは違い、世に出やすい身分だったのです。

私としても、曹騰はかなり好感の持てる宦官です。
きっと、十常侍の腐敗政治を見て、内心怒りを覚えていたのではないでしょうか。
正義感の強い人ですし、ましてや同じ宦官だからこそ、そのように思うに違いありません。

宦官の衣装

宦官の衣装といえば、どういったものをイメージしますか?

清時代の宦官が着ていた服装は次のようなものです。
袍子パオツ」と呼ばれる灰色の長い上着に、「褂子クオツ」という暗紺色の短い上っ張り、黒地のズボンといった、かなり地味な服装をしていました。そして、半円形の宦官帽を被っています。
これは、一般的に下級宦官が着ている衣装となります。



上級宦官の場合は、割と派手な衣装を着ていて、アクセサリーやネックレス、その他装飾ものを身に着けていますから、一見すれば貴人に見えます。
それに加え、甲高い声の持ち主が多いですから、最初は女性に見えるかもしれませんね。
余談ですが、不死身な妖怪「キョンシー」の着ている服装は、清時代の宦官をモデルにしています。

以上は清時代の話ですが、それ以前の衣装はどうだったのか。
残念ながら記録に残っていないため、後世の想像になります。

宦官は、アニメやドラマなど様々なメディア等にて確認できるかと思います。
たいていは、細長い帽子に、灰白色の長衣をまとっているイメージがありますね。
また女官なども、桃色で明るい服装だけど、地味で着飾っていない感じです。

宦官、女官は、皇帝や后妃に仕える身分ですから、派手な衣装は憚れますよね。

風流天子・徽宗帝

中国宋王朝最後の皇帝・徽宗帝きそうていをご存知でしょうか。
『水滸伝』を知っている方であれば、分かるはずです。
そう、水滸伝で登場する「道君皇帝」とは、彼のことなのです。

徽宗帝とは、いかなる人物だったのか。
彼は、文人・画人としての才能を持ち、絵画・建築・造園などに優れていました。そのため芸術面では大変評価されている人物です。
「痩金体」と呼ばれる書体を作成し、絵画では写実的な院体画を完成させます。
当時、徽宗帝のことを「風流天子」と称されていました。
ちなみに、徽宗帝の作品『桃鳩図』は、貴重な文化財として扱われ、現在日本にあるのは国宝に指定されているほどです。

徽宗帝は、芸術の糧とするために、庭園造営をするようになります。
そのため、造園に必要な珍花・名木・奇石を遠く南方より首都・開封まで運ばせていました。
のちにこれを「花石綱」と呼ばれ、強制的に買い上げ、時には強奪を行い、首都・開封へ運ばせていました。
この強引な調達方法、及び多額の費用・労働力がかかるなどして民衆の恨みを買われることになります。

花石綱は以下の方法を取っています。
・陸路を使う際は、輸送の邪魔になる民家を取り壊す。
・巨岩や大木などのため、運河を利用することが多く、生活物資よりも花石綱が優先された。
・運搬に際しては、原型を留めるため、丁寧な梱包が行われた。(梱包が大きくなる上に、時間がかかる)
朝廷が賄うのではなく、全て民衆の負担となっています。

芸術活動の資金作りのために、「六賊」(蔡京・童貫・王黼・李彦・朱勔・梁師成)を登用し、民衆に重税を課すこともありました。
このような悪政により、民衆の恨みはさらに高まり、のちに「方臘の乱」など民衆反乱が続発します。
この反乱指導者の中に「宋江そうこう」と名乗る者がおり、これをモデルにして誕生したのが『水滸伝』となります。

そんな大混乱の中、外交との動きも大きく発展していました。
燕雲十六州の一部奪還に成功していた宋国は、金国に占領された残りの州の奪還を考えるようになり、ひそかに遼国と画策する計画が行われていました。
しかしこの陰謀は、金軍に露見してしまい、1126年には、首都・開封が陥落されてしまいます。
徽宗帝たちは金国に連行され(靖康の変)、54歳で死去します。
貧しい抑留生活を過ごす羽目になったそうなので、皇帝時代を味わっている彼にとっては、そうとうな地獄だったでしょう。
因果応報というもので、悪政を敷いた報いなのでしょう。

とはいえ、これらの悪政は、六賊が招いた結果であり、徽宗帝本人は事の真実を知らなかったようです。
しかし、周りを見通す能力がなかったという点でも「暗愚」に違いないでしょう。

芸術的才能を持っていた徽宗帝ですが、もし彼が皇帝ではなかった場合、よりたくさんの作品を生み出していたのかもしれません。
皇帝という身分は、全ての民を見なければならず、私事にうつつを抜いていてはならない存在です。そういった意味では、自分の時間を得ることができないものです。
しかしながら、彼は政治に興味はなく、むしろ自分の才能を極めたかった。(彼自身が皇帝になることを望んだわけではありません)
その結果、彼は悲惨な生涯を迎えたわけです。

才能を世間に知らしめることができたのは、皇帝であったからでしょう。
しかし、それが返って、自分の首を絞めることになり、民衆を苦しめることになったのです。
本人は、皇族のひとり(または庶民)として、作品を創出しながら、のんびりと過ごしたかったに違いありません。
ましてや民衆は、芸術ではなく政治のできる明君を望んでいますからね。

望んでいない皇帝になったこともまた運命だったのです。

風変わりな天皇

暗愚や暴君で知られる天皇を紹介します。
何となく気になった人物を調べていたら、そのような評価をされているようなので。

まず変わり者、奇行で知られる天皇を紹介します。
陽成ようぜい天皇
『神皇正統記』(北畠親房)より、陽成天皇は性格が荒々しく帝王の器ではないとあります。
三種の神器の宝剣を抜いてみたり、宮中で馬を30頭飼ってみたり、鶏合や闘犬を好んだり、とにかく乱行や奇行が目立っていました。
結果、藤原基経たち群臣を再三悩ましたため、強制的に退位させられます。

『愚管妙』(慈円)には、「物の怪によるわざわいがひどく、狂気の振舞は言葉にできないほどだった」と、彼を批判的に書いています。

冷泉れいぜい天皇
村上天皇の崩御後、18歳で即位。
外戚勢力である藤原氏(実頼・師輔兄弟)の力により、第一皇子ではなく彼が天皇に。

冷泉天皇は、非常に眉目秀麗だったそうです。
しかし、素晴らしい容姿を持ち得ながら、精神病(皇太子時代から)の奇行が目立っていました。
『江記』(大江匡房)より、以下のエピソードが伝えられています。
・一日中、蹴鞠に傾倒する。(足が傷つき怪我をしても)
・父である村上天皇に手紙を書いた際、男性器を描いた絵を送り付ける。
・皇居近くにあった番小屋の屋根の上に座り込み、全く降りようとしない。
・病気のため、床で休養を取っている際、大声で歌を歌う。
・退位後、住んでいた皇居が火事になり避難する時、彼は牛車の中で歌を歌う。
・儀式の最中、「こんな重いものは被っていられない」と言い放ち、冠を脱ぎ捨てる。その時、使えていた女官を帳の中で犯す。

これらの奇行と、藤原氏の次なる目論見もあってか、わずか二年で退位します。
しかしながら、花山天皇をはじめとする皇子女や弟・円融天皇、一条天皇たちが次々に他界してしまいます。(冷泉天皇は62歳まで生きる)
親族の多くが先立ってしまいますが、天皇の血統は、孫娘を持って、没した円融天皇の系統と合わさることで受け継がれることになります。

花山天皇もまた、結構な変わり者です。(冷泉天皇の性格が遺伝したのでしょう)
臣下に何度もだまされた挙句、退位しています。
彼もまた「内劣りの外めでた」と評され、度々乱心の振る舞いをしていたそうです。その一方で、絵画・建築・和歌など多岐にわたる芸術的才能に恵まれ、ユニークな発想に基づく創造は、人の意表を突いていたとか。

四条しじょう天皇
『五代帝王物語』より、宮中の人を滑らせて笑ってやろうと、廊下に滑石を撒きます。
しかし、誤って自分が滑り転んでしまい、打ちどころが悪かったのか、数日寝込んで崩御。(享年12歳)
『増鏡』はその死因を「あじけなし(つまらない)遊び」としています。

次は、気性が荒く、異常な行動を取った天皇。
雄略ゆうりゃく天皇
允恭天皇の第五皇子として誕生。

周辺諸国を次々に攻略し、勢力を拡張させた天皇です。
また即位後、家臣を処刑することが多く、後世に「大悪天皇」と誹謗されるようになっています。
雄略天皇の記述については、後述の武烈天皇にも見られることから、「両者は同一人物ではないか」との説もあります。

『日本書紀』には、このようなこと書かれています。
雄略天皇が狩に出かけた際、猪を射殺せない気弱な舎人を見て、それを殺そうとします。
その際、皇后に「陛下、猪を食したいからといって舎人を斬られますのは、豺狼さいろうと何も違いません」と、いさめられたことがあります。「豺狼」を残忍な例えとするのは、中国『後漢書』などに書かれており、後世の創作とも考えられるそうです。

また、雄略天皇の治世では、「大和王権の強化」を強引に行い、皇族だけでなく有力豪族にも影響を与えました。その時、征伐された皇族や豪族からの恨みを買い、雄略天皇を「暴君」として記述を残しています。

武列ぶれつ天皇
仁賢天皇崩御後、即位。

『日本書紀』より、武烈天皇の奇行が記されています。(『古事記』では、彼の悪逆非道の記述は存在しません)
・妊婦の腹を切り開き、その胎児を観察する。
・人の爪を割り、芋を掘らせる。
・人の頭髪を抜き、樹に登らせる。その際、樹を切り倒し、登らせた人を転落死させる。
・人を塘の樋に入れ、外に流出づる、三刃の矛を用意させ、刺殺する。
・人を樹に登らせ、弓を用いて射墜する。
・女を裸にし、平板の上に座らせ、馬の交尾を見せる。女がこの不浄を見た時、濡れた者は殺し、濡れなかった者は宮女にさせる。

『水鏡』などでは、崩御したのが18歳とありますが、不明な点が多いそうです。
また、武烈天皇には、子がいなかったそうです。

畏れ多い天皇家ですが、歴史を遡ると、様々な人物像を垣間見ることができます。
残忍で冷酷な人もいなければ、現代まで受け継がれることはありません。ましてや気性の荒い人物がいなければ、皇帝を名乗ることなどもっての他です。
しかしながら、冷泉天皇といった変わり者もいますので、本当に歴史とは面白いものです。
武列、雄略天皇に関しては、暴君と言われますが、頂点に立つ者でいずれ誰かがしなければならないことなので、仕方ありませんよね。

まだ他にも、風変わりな天皇はいるかと思います。
さらに調べてみると面白いかもしれません。
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霊睡蓮

霊睡蓮(レイスイレン)
1989年生まれ/大分県/AB型
コノ恨ミ……晴ラシテミセル……
根に持つ性格で、その恨みは呪いを以て晴らす。
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