不気味植物・モンステラ



今回は、サトイモ科のモンステラを紹介します。
大きな葉に切れ込みが入った、エキゾチックな熱帯植物です。
モンステラは気根(空気中に根を出すこと)を伸ばし、他の木に絡まって身体を支え、成長していきます。

モンステラの名前は、ラテン語の「モンストラム」(異常・怪物の意)から由来します。
鬱蒼としたジャングル奥地に、奇妙で不気味な葉を広げ、おびただしい気根が絡まり合っている光景。
そのおどろおどろしい姿から、そう名付けられたと言われています。

モンステラの茎葉には、毒液「蓚酸しゅうさんカルシウム」が含まれています。
この成分は、皮膚をかぶれさせたり、粘膜に炎症を引き起こします。
観葉植物として育てる時は、犬や猫などが誤って食べないように注意しなければなりません。
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中国三大宦官・鄭和

明の宦官・鄭和ていわは、本名を「馬三保」といい、大航海時代を築いた有名な人物です。

鄭和は、雲南出身でムスリム(イスラム教徒)として誕生しました。
明帝国が築かれた時、雲南の地は征伐され、まだ少年だった鄭和は捕虜となります。
そして宦官となり、永楽帝(当時は燕王)に献上されました。

のちに永楽帝が皇位簒奪「靖難の変」を起こし、仕えていた鄭和は、多大なる功績を挙げました。
これが認められ、彼は「鄭」の姓を下賜され、宦官の最高位「太監」が与えられました。

永楽帝は、「大明帝国の名を広め、多くの国々と朝貢関係を結ばせる」ことを目的に、イスラム教徒の鄭和(交渉時に都合が良い)を大航海の長として、命じます。

第一回目
蘇州→ザイトン(現在の泉州)→クイニョン(チャンパ王国)→スマトラ→パレンバン→マラッカ→セイロン→カリカット
この航海により、国交がなかった東南アジアの諸国が、続々と明へと朝貢にやって来るようになりました。

第二回目
ほとんど同じ航路で、タイ・マジャパヒト王国を経由し、カリカットに到着する。
帰路の途中、セイロン島に漢文・タミル語・ペルシア語の三ヶ国語で書かれた石碑を建てる。

第三回目
再び同じ航路でカリカットに到達。
帰路のセイロンで、現地の王が鄭和の船に積んである宝物を強奪しようと襲い掛かる。
しかし、鄭和は反撃し、逆に王とその一族を捕らえることに成功する。

第四回目
第二・三回目と同じ航路でカリカットに到着するが、そこからペルシャ湾のホルムズ王国(ティムール朝)やアラビア半島南のアデン(ラスール朝)などに向かった。
さらに鄭和は、インドから西進し、スリランカからアフリカまで到達する。

第五回目
本隊はアデンまで到達するが、その分隊はアフリカ大陸東岸のマリンディにまで進む。
この時、珍しい動物を連れ帰っており、特に永楽帝を喜ばせたのはキリンであった。
(キリンは伝説の「麒麟」に酷似し、仁徳ある政治をする皇帝の前に現れるとされていた)

第六回目
今までとは異なり、朝貢にやって来た各国の使節を送るのが目的。
ゆえに今度もほぼ同じ航路を取っている。

第七回目
永楽帝は崩御しており、次代の宣徳帝の勅命による。
その分隊は、聖地メッカに到着する。
しかし帰国後、鄭和は静かに息を引き取った。

鄭和の大航海は、ヨーロッパの大航海時代の70年前の出来事であり、非常に高く評価されています。
つまり、世界で初めて大航海をしたのは、中国の宦官だということです。

鄭和は、訪れた各国でも評判は高く、ジャワ・スマトラ・タイには三宝廟が建てられています。
当の中国では、中国海軍の練習艦に「鄭和」と名付けられるほどです。

マリオパーティ 没ミニゲーム

ゲームには、開発者がバグのチェックや修正などを行うためのシステム「デバッグメニュー」というものがあります。
実はこのデバッグメニューには、没・未使用データが残されている事があり、開発途中で放置されているものがあります。

今回は、初代『マリオパーティ』の没ミニゲームを紹介。
没・未使用データって、妙な不気味さがあります。

SAME GAME

一人用のミニゲーム。パズルゲーム「さめがめ」。
全てのブロックを破壊できれば宝箱が出現。
途中でリタイアすることも可能ですが、難易度が少し高いため、没になったと考えられます。

ヨッシーのしたあわせ

4人用ミニゲーム。
ヨッシーの舌を伸ばし、子ハナちゃんを親ハナちゃんのもとに届けるゲーム。
BGMやSEがおかしく、開発途中で没になったようです。

漢字の世界

今回は、『常用字解 第二版』(著:白川静)を紹介します。

漢字の成り立ちや語源などが詳細に解説されており、気になっていた漢字を調べてみると、意外な事実を知ったりすることができます。
普段何気なく使用している漢字にも、実は恐ろしい意味があったりと、ますます興味がそそられました。
ただ、一言で言うと「残酷」な語源が多い。

漢字発祥の地は、言わずと知れた古代中国。
中国文化の残虐的な事柄は、当ブログでも断片的に紹介してきましたよね。
支配者と被支配者の関係、残酷な刑罰や拷問、人肉食など、例を挙げればキリがありません。

「幸」という字の語源は「手かせ」から成り立っており、「手錠をかけられた程度の刑で済んだから(幸せである)」という意味があります。
しかし逆に考えると、手錠以外の処分は、果たしていかなることだったのでしょうか。
古代中国の処刑方法は、耳や手足の切断、皮剥ぎ、去勢などがあり、またその他厳しい拷問があったことは、想像できるかと思います。

「暴」「荒」「県」などの漢字から分かるように、人間や動物の死体をないがしろに扱っているものがあったりします。
土中の神を清めるために、人や動物を生き埋めにしてできた「伏」、領域に侵入されないように生首を並べて防塞を作った「道」、目を傷つけられ盲目になった男の奴隷「童」など。

古代中国では、人間の死体や首を呪具として扱い、神や霊を鎮める祭事の道具や御守りにしていたからというから、恐ろしい。
封建制度の名の下に、多くの被支配者たちが、人柱・生贄になっていたことが分かると思います。
ましてや異民族や罪人には、想像するだけでも震え上がりますね。
犠牲者がいることで、漢字が作成されたのだと意識すると、これ以上にないホラーです。

上記のものは、ほんの一部に過ぎません。
白川静さんは、漢字のほとんどが呪術や儀式に関わっているものが多いと提言しています。
まだまだ、漢字には戦慄するような語源が存在しているということです。(私自身、全漢字に目を通しているわけではありませんが)

白川静の漢字語源シリーズは、手軽に読めるものから本格的なものまで、幅広く出版されています。
漢字を勉強することは即ち、日本語や歴史を深く学べることにも繋がり、深い教養を得ることができると思います。
また、中国史好きな方にとっては、今まで以上に中国が好きになると思います。
そう、日本が漢字文化圏で良かったと思えるはず。

漢字の一つひとつに、必ず意味があるというのは、大変面白い。
自分の名前に使用されている漢字を調べてみると、意外な発見ができるかもしれません。
興味のある方は、ぜひとも購入してみてはいかがでしょうか?

日本三大悪人・道鏡

日本三大悪人といえば、道鏡、平将門、足利尊氏が挙げられます。
天皇の位を狙った道鏡、「新皇」を名乗った平将門、天皇に反旗を翻した足利尊氏。
彼らは天皇に背いた逆賊ということから、日本三大悪人として挙げられることが分かります。

今回は、女帝・孝謙こうけん天皇に取り入った僧・道鏡どうきょうを紹介します。
天皇の寵愛を受け、僧侶の身分でありながら、絶大なる権勢を誇った人物です。

ではまず、時代背景を簡単に説明します。
孝謙天皇の母・光明皇太后は、甥である藤原仲麻呂ふじわらのなかまろを重用します。
のちに天武天皇の血を引く道祖王ふなどおうが皇太子となりますが、藤原仲麻呂の謀により、藤原家に近い大炊王おおいおうが天皇となりました。
これを快く思わなかった橘奈良麻呂たちばなのならまろが兵を挙げます。(橘奈良麻呂の変)
しかし、すでに予見していた藤原仲麻呂は、これを鎮圧します。

孝謙天皇は、大炊王に帝位を譲ります。(孝謙天皇→孝謙上皇、大炊王→淳仁天皇)
淳仁じゅんにん天皇を背景とした藤原仲麻呂は、次々に大出世し、最高位「太政大臣」になると、権力を欲しいままにしました。

その頃、病に臥していた孝謙上皇は、法相宗の僧・道鏡に看病されていました。
近侍した道鏡は、祈祷の力を持って病魔を追い払うことに成功します。
これを契機に、道鏡を気に入った孝謙上皇は、あらゆる待遇を彼に施します。

このことを淳仁天皇に咎められることもあり、孝謙上皇と淳仁天皇は、徐々に対立するようになっていきます。
「淳仁天皇&藤原仲麻呂VS孝謙上皇&道鏡」といった具合に。

危機感を覚えた藤原仲麻呂は、ついに挙兵します。(藤原仲麻呂の乱)
しかし、孝謙上皇の官軍相手に、なかなか思い通りにはいかず、逆に追い詰められる結果となりました。
手を緩めない孝謙上皇は、さらに兵を送り込み、最終的に藤原仲麻呂軍は殲滅されてしまいます。
藤原仲麻呂は討たれ、淳仁天皇は共謀した罪に問われ、島流しとなりました。

これを機に、孝謙上皇は、再び天皇の位に付きます。(孝謙上皇→称徳しょうとく天皇)

藤原仲麻呂の乱により、太政大臣・藤原仲麻呂が誅殺されたことで、道鏡が「太政大臣禅師」となります。
さらに「法王」の位まで与えられるほど大出世し、政治に口出しするようにもなり、彼の権勢は揺るぎないものとなりました。

一介の僧が政治に参与する反感も加わり、藤原一族の不快感はさらに高まるようになりました。

そんな時、大宰主神・中臣習宜阿曽麻呂なかとみのすげのあそまろが、豊前国の宇佐神宮より「道鏡を天皇にすれば、天下は泰平になる」との神託があったと、上奏します。
称徳天皇は、帝位を譲るべきかの判断を和気清麻呂わけのきよまろに託し、宇佐八幡の神託を確認するように命じます。
和気清麻呂は、例の神託が虚偽であったことを天皇に報告しますが、道鏡はこれに憤慨します。
道鏡に恨みを買われた和気清麻呂は左遷されます。

しかし、因果は巡って来ます。
そう、道鏡の後ろ盾であった称徳天皇が崩御したのです。
新たに光仁こうにん天皇が即位すると、道鏡は下野国に左遷されてしまいます。
光仁天皇は、道鏡本人に刑罰を科すことはありませんでしたが、彼の一族は土佐国に流罪となりました。

下野国に赴き二年後、道鏡はしがない庶民として没しています。
絶大なる権勢を誇り、帝位をも簒奪しようと企んだ僧侶は、あまりにも呆気ない終わり方となりました。

東林党VS宦官党

中国明王朝(万暦・天啓年間)に、東林党と宦官党が政権を争っていたことはご存知でしょうか?
「東林党」とは士大夫勢力の党派であり、「宦官党」とは宦官勢力の党派のことです。

万暦中期、万暦帝による堕落政治により、明帝国の財政は大変な赤字となりました。また、帝自身の懐具合も底を付こうとしていました。
そこで万暦帝は、廃鉱となっていた銀山の開発に目を向けます。
中国の銀山は、すでに銀はほとんど採掘され尽くしている上に、むしろ採鉱費は銀よりも何十倍も掛かるということで、閉山に追い込まれていました。
金の欲しい万暦帝は、その事実を知ることもなく、後先考えず勅命を発します。
これにより、全国の鉱山各地に、万暦帝の命を受けた宦官たちが派遣されます。

当然ながら、銀などは出てきません。
そこで派遣された宦官は、税金やその他金になる事柄を「勅命」と称し、民衆から詐取するようになります。
悪逆非道なことをする一方、ついでに宦官自らの懐を肥やしていたというから、抜け目がありません。

この暴政に異を唱えたのが、民間言論の中心「書院」(いわゆる私塾)でした。
そこの学者たちは、全国で講演を開き、学説を発表するといったことをしています。
やがて、国に憂いを持つ士大夫が、「東林書院」を設立し、のちに国・政府の無能さに批判的な意見を述べるようになります。
これに心打たれた全国の名士たちは続出し、革命政治を標榜とする政党「東林党」が生まれたわけなのです。

当時の官僚は、出身地別で派閥を組んでおり、また利害を持って結成されていたのが現状でした。
そこに、革新政治を掲げる東林党が乗り込み、政府の官僚たちを吸収し自派に付かせようとします。
しかし、元々利害関係で組まれていた党人にとっては、大迷惑でもありました。

そこで、反東林派の党人たちは、東林党の攻勢を防ぐため、逆に宦官たちの力を借りて、対抗しようとします。
これこそが「宦官党」結成の瞬間です。
こうして明王朝の政界は、東林党と宦官党が激しく対立するようになっていきます。

万暦帝が崩御し、のちに天啓帝が即位します。
天啓年間は、宦官・魏忠賢が絶大なる権勢を誇りました。

宦官党(反東林派の党人も含む)率いる魏忠賢は、事あることに東林党を弾圧し、次々に名士たちを投獄・殺害していきます。
『東林点将録』というリストを作成し、東林派の人物を一掃しようと謀ったこともありました。
しかし天啓帝が崩御し、新たに崇禎帝が即位すると、魏忠賢は粛清されます。
これを契機に、ようやく東林党に対する凄惨な弾圧行為が収まったそうです。
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霊睡蓮

霊睡蓮(レイスイレン)
1989年生まれ/大分県/AB型
コノ恨ミ……晴ラシテミセル……
根に持つ性格で、その恨みは呪いを以て晴らす。
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