呪われたゲーム『手紙』

『手紙』は、一般販売されたゲームソフトではなく、ネットで配信された昔の同人ゲームです。
ジャンルはサウンドノベル。

このゲームをプレイすると呪われるという都市伝説があります。
以下、その原文を紹介。


手紙 第一話

あれは、まだ僕がソフトを不正にコピーしていた頃の話です。
僕はソフトを購入したことは一度もありませんでした。
いや、厳密には、購入したらすぐにコピーして、原盤を中古ショップに売ることにより、その差額だけでゲームを楽しんでいたのです。

この1年間で、そうやって集めたゲームはフロッピーディスク一杯になっていました。

その日も、いつものようにコピーしたらすぐに売るつもりで新作ゲームを購入しました。
タイトルは『ハルマゲドン』という、パッケージもゲーム画面もどことなく無気味なRPGでした。

これを作ったソフト会社は、しばらくヒットに恵まれていないようです。
僕も、全作品をプレイしてきましたが、以前ほどのパワーはなくなっています。
この会社もそろそろ終わりかな・・・。

パッケージを開けると、さっそくフロッピーディスクを強力なオートコピーツールでコピーし始め、その時間を利用して、ソフトのマニュアルをパラパラとめくっていました。

そして、最後のページにあった注意書きには、こんなことが書かれていました。

『このソフトはコピーしないほうがいいでしょう。』

しないほうがいいでしょう、とは曖昧な表現だなあ、と思っていると、ちょうどコピーが終了したので、コピーが取れていることを確かめると、すぐに中古ショップに出掛けました。

その夜、僕は『ハルマゲドン』に夢中になっていました。
買った値段が9800円、売った値段が5000円、半額でゲームが楽しめるなんて、僕は何て頭がいいんだ。
そうだ!
友達5人に、1000円でこのソフトをコピーしてやれば元が取れる。

そんなことを思いつつ、僕は延々とゲームをプレイし続けていました。

あ、停電!?
ゲームに熱中していて気づかなかったが外はいつの間にか嵐になっている。

最後にセーブしたのが数時間前だったことが頭をよぎった。
僕は気落ちしながら、ポケットに入っていたジップライターを取り出し、フタを開けて火を付けた。

え?
僕はびっくりして、とっさにライターのふたを閉めてしまった。
今、確かにモニターに誰かの顔が写っていたような気がした。

何も写っていない。
気のせいか?

僕は火を付けたまま、しばらくじっと停電が戻るのを待っていたが、一向に復旧する気配はないようだ。

僕は、ひょっとしたら停電の原因は落雷ではなく、単にブレーカーが落ちただけかもしれないと思い、調べに行こうと、椅子から立ち上がろうとした。

・・・か・・・
体が動かない!!
これがいわゆる金縛りというやつか!?

「うぁ~~」
僕はびっくりして、火のついたジッポライターを床に落としてしまった。
ライターはフロッピーディスクケースに入り、ディスクの一枚に燃え移った。
次々とディスクが溶け、プラスチック特有の鼻を突く有毒ガスが発生する。

火はパソコンにも燃え移り、ますますその勢いを増す。
パソコンにさしてある「ハルマゲドン」のディスクも燃え出し、溶けはじめている。

ディスプレイに写る顔からは無気味な笑い声が何度も響き渡る。

そして遂に、動けない僕の体にも火が燃え移った。
ズボンや服がじわじわと焦げだす。
もうだめだ・・・。

そう思った瞬間
停電が戻った。
今まで燃え盛っていた炎は、うそのようにおさまっていた。
それどころか、燃えていたはずの服やパソコンが何ともない。

夢だったのか・・・?
ふと目を落とすと、フロッピーディスクケース内のコピーディスクは跡形もないほどに溶けていた。
パソコンに入っていた「ハルマゲドン」のディスクも同様に溶けて流れ出していた・・・。

あとから聞いた噂では、あのゲームを開発した人のひとりが、完成直後に過労で亡くなったそうです。
モニターに写っていた顔は、きっとその開発者だったのでしょう。
コピーディスクが燃え尽きるのがもう少し遅かったら・・・、と思うと今でもゾッとします。

あれ以来、僕はソフトをコピーするのをやめました。
どんなソフトにも開発者の執念がこもっていること、そして、ソフトを買うことは、そのソフト会社の次回作につながることがわかったからです。

コピーユーザーが
「この会社のソフトは最近面白くない」
と言える権利はどこにもないのです。

プログラム KAMI(熱血最強ネット)
顔の出演 ZAIMOTO(熱血最強ネット)
著作・制作 1995 KAMI
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捕虜になった皇帝

中国明王朝の話。
第6代/第8代皇帝・英宗(元号を二つ用いたので、廟号で呼ぶ)について。

第6代皇帝・正統帝
即位当初は、「三楊」(楊士奇、楊栄、楊溥)の補佐により、善政が敷かれていました。
しかし、英宗が親政を行う時期になると、すでに三楊は隠退していたため、宦官・王振の専横を許すことになります。
王振は絶大なる権勢を振るい、政治腐敗を招き、各地で反乱が起こるようになりました。
そんな時、明帝国の腐敗と混乱に乗じ、北方民族・オイラトが侵攻。

オイラトの首長・エセンは、明との朝貢貿易による交渉決裂になったことを理由に、攻めて来たのでした。

王振は、エセン征伐を訴え、強引に皇帝と軍を動かします。
圧倒的な兵力を誇った明軍でしたが、オイラトは強く、明は敗北します。

撤退途中、土木堡にて潜んでいたエセン軍により、明軍は壊滅的なダメージを受け、英宗が捕虜となります。(これを「土木の変」と呼ぶ)

しかし、オイラト側は「貿易交渉のためであって、明を脅かすつもりはない」と言い、英宗とエセンは、親しい間柄になりました。
ちなみに、元凶である宦官・王振は、この乱戦に紛れ、味方から棍棒で撲殺されています。
恨みを買われていた王振は、こういう形で復讐されたわけです。因果応報ですね。

その頃、皇帝捕虜の知らせを受けた朝廷は、新帝・景泰帝(英宗の弟)を即位させます。
それを指示した于謙は、石亨らと協力し、王振派を粛清し、オイラト防衛に当たります。

のちに明とオイラトは和解し、英宗は釈放されます。
上皇となった英宗は、政治的権力を失い、軟禁状態になります。

そんなある時、石亨や曹吉祥らが政変を起こし、景泰帝を幽閉、その党派を粛清します。
この年に景泰帝は崩御し、石亨たちにより、英宗は再び皇帝になります。(これを「奪門の変」と呼ぶ)

第8代皇帝・天順帝
元号を「景泰」から「天順」に改め、英宗は天順帝となりました。
しかし今度は、その功を持つ石亨、曹吉祥が権勢を振るうようになります。(彼らは「曹石」と呼ばれた)
恐れた英宗は、彼らを排除することに。

まず石亨を、親族の罪に連座させる形で失脚。
その後、獄死させました。

それに危機感を覚えた曹吉祥は、その甥・曹欽が政変を起こします。
しかし鎮圧され、曹欽は自殺し、曹吉祥は磔刑に処されました。

天順8年、38歳にて崩御。
彼の息子・朱見深(成化帝)が次期皇帝に。


英宗は、捕虜になったり、宦官の独裁を招いたりと、一般的には暗愚な皇帝として扱われています。
ちなみに王振は、かつて英宗の家庭教師で、学識の高い宦官でした。
しかし、権力と賄賂を欲する邪悪な人物。土木の変後は、王氏一族は処刑され、財産も全て没収されています。

そして、途中で登場した曹吉祥も、宦官。
英宗のもとで権勢を振るっていた王振に近付き、上級宦官の一人になります。
しかし、土木の変後の景泰帝時代、王振派として弾圧され、左遷されます。
で、のちに石亨と手を組み、景泰帝を廃し、英宗を皇帝にしたというわけです。

秘密警察を動かす宦官・汪直

明王朝は、暗愚な皇帝が多く、宦官が権勢を欲しいままにしていた時代。
今回はその内の一人、宦官・汪直おうちょくを紹介。

汪直は、初め万貴妃ばんきひに仕え、その後成化帝せいかていに重用されるようになります。
秘密警察・西廠せいしょうが設置されると、初代提督として就任します。
大獄を引き起こし、約五年間、その犠牲者は数百人余りも上るといわれています。

「まず逮捕してから、罪を探す」という方法を取っており、当然罪のない人たちも含まれ、その惨禍は天下に恨まれることになります。
のちに政治を専断すると、北辺への遠征も行い、軍をも手中に収めようとします。

しかし、傍若無人な行為に対し弾劾され、世間から非難の声が上がり、失脚。
成化帝の信任も失い、「奉御官」に降格され、何もできない宦官になりました。

明帝国は、しばしば秘密警察が登場し、その長官に、宦官が就任するという異常な時代でした。
劉瑾や魏忠賢なども、これを利用し、天下万民を恐怖と絶望に震え上がらせることになりました。

福建の奇習と宦官

宦官といえば、後宮に引きこもり、陰湿で薄気味悪く、忌み嫌われる存在。
しかしそれは、一般人から見た負のイメージ。実際、そのような人たちばかりではありません。

宦官には選考基準があり、年の若い美男、しぐさがエレガント、言葉巧みな美声、臨機応変なる利口さなどが挙げられます。
当然、それら理想像は、誰でも身に付けられるものではありません。

宦官になるためには、去勢さえすればいい、というわけではなく、去勢はあくまでも「資格」。
資格のみならず、容姿・能力重視は、現代社会に通じるところがありますね。

ところで、中国・福建は、男色の本場ということはご存知でしょうか?
中国六朝時代より、同性結婚は、大ブームとなっていました。(夫婦の離婚が相次いだほど)

貴賤問わず、皆が男に夢中となり、年上を「契兄」、年下を「契弟」と呼んでいました。
契兄が契弟の家に来ると、その家族は大いに歓迎しました。
また片恋で終わった場合、相手を抱いて無理心中する者が後を絶たなかったそうです。

なぜ福建は、そのような奇習が生まれたのか。
海に近い福建は、「女を船に乗せると海神に祟られる」という言い伝えがあり、その代わりに男を乗せるようになったのが始まり。
しかるに福建は、「海の男」が多く存在するわけですから、ブーム時の人気は凄まじかったでしょうね。

余談ですが、日本も戦国時代は「衆道」といって、男色が盛んでした。
「戦場に女はいない」わけですから、その代わりに、というパターンです。

福建の奇習は、当然女性のような雰囲気を持っている者が多く、ゆえに宦官として出世に役立ったことは言うまでもありません。
唐時代、権勢を極めた宦官のほとんどが、福建出身となります。

操られたオウム真理教

オウム真理教の背後には、強大な黒幕が存在しています。
北朝鮮、ロシア、宗教、政治家、暴力団。

現にオウム真理教は、暴力団と関わったことで、逆に飲み込まれ、そのほとんどの金が暴力団に流れていたとのことです。
『麻原は早川のペースに乗せられ、暴力団に食い込まれてしまった。連中は金に群がり、教団を骨の髄までしゃぶり尽くしたんだ。坂本事件も、村井が殺されたのも皆そうだ。麻原はついに病気と、警察と、暴力団に対する恐怖や焦燥感からおかしくなってしまったんだ。』(著書『オウム帝国の正体』より)

凄惨事件後によるオウム解体の流れは、どうやら黒幕たちが逃げるための手段。
世間が、オウム事件に集中している間に、全ての証拠を回収するための時間なわけです。
と考えると、この事件は麻原自身も不本意だったのかもしれませんね。
そう、この事件を起こすことができなければ、自分たちが抹殺されると。

この教団、様々なパフォーマンスやメディア出演等で名を知ら示めすなど、宗教らしからぬ特徴があります。(オウム出版や企業の起立、アニメ制作、真理党結成など)
考えようによっては、あえて目立つことで、影の支配者たちに目が向けられにくくする方法だったのかもしれません。

オウム真理教についての着目点をひとつ変えると、様々な真実が分かってきます。
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プロフィール

霊睡蓮

霊睡蓮(レイスイレン)
1989年生まれ/大分県/AB型
コノ恨ミ……晴ラシテミセル……
根に持つ性格で、その恨みは呪いを以て晴らす。
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