人を許せば自分も許される

中国隋王朝末期、杜如晦とじょかいと、叔父の杜淹とあんは、豪族の王世充おうせいじゅうに仕えていました。
ところが杜淹は、杜如晦とその兄弟を憎んでおり、王世充の指示の下、杜如晦の長兄を殺し、杜如晦を投獄させました。

のちに唐軍率いる李世民りせいみんが、王世充を討ち破ると、その敵軍で活躍していた杜淹は捕らえられました。
李世民の相談役を務めていた杜如晦の兄・杜楚客とそかくは、長兄を殺された恨みから、杜淹を処刑すべきだと言いました。
しかし杜如晦は、兄に懇願します。

「叔父は私たちの兄を殺しましたが、その復讐に叔父を殺せば、一族が殺し合うことになります。それは絶対に避けなければなりません」

杜楚客は、弟の必死な訴えに応え、その恨みを水に流すことにしました。
その後、杜淹は釈放されました。

626年、李世民は唐王朝の太宗となりました。
杜如晦は遁世とんせいを送っていましたが、のちに朝廷から呼び戻されます。

しかしそこで、杜如晦は重大な過ちを犯してしまいます。
彼は、李世民の四番目の子を手伝って、朝臣に賄賂わいろを渡してしまったのです。

皇帝の後継問題に関わる杜如晦の行為は、死罪に値します。
しかし李世民は、杜如晦の罪を許しました。
その代わり、李世民は杜如晦を県の長官に任命し、功績によって過ちを償わせることにしました。

こうして死罪を免れた杜如晦は、必死に働き、恩に報いたといいます。


因果応報いんがおうほう」という言葉があります。
自分の行いは必ず返って来るというものですが、まさにこれを表しているエピソードの一つと言えますね。
叔父を「許した」杜如晦は、巡り巡って、李世民によって「許される」が返って来ました。
しかしながら、杜如晦も立派ですが、弟の訴えに応えた杜楚客や、死刑に値する罪を許した李世民も大変立派な人物ですね。

人は恨みを抱く生き物であるゆえ、逆に恨まれることも多々あります。
過去の過ちを深く反省していても、許してもらえないことはあると思います。
その場合、もし自分に、別件で恨んでいる相手がいるのであれば、その相手を許すことから始めた方が良いのかもしれません。
別件で恨んでいる人たちを許すことができれば、因果の法則に則り、自分も救われることになるからです。

人を恨むということは、自分も誰かに恨まれることになる。
人を許さないでいることは、自分も誰かに許されないままでいることになる。

人を許すというのは簡単なようで難しいものですが、「自分のため」と意識すれば、人を許せるのではないでしょうか。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
カテゴリ
月別アーカイブ
検索フォーム
リンク
ブログランキング

FC2Blog Ranking ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
人気ブログランキング

プロフィール

霊睡蓮

霊睡蓮(レイスイレン)
1989年生まれ/大分県/AB型
呪い、タロット占いが得意。
------------------------------
個人小説サイト
呪われた魔法石

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

訪問者数